秀友会アカデミアで生まれた、
「よりよく生きる」ための言葉たちを紹介します。

北京五輪銀メダリスト 朝原 宣治

第5回

2024
720日(土)開催

北京五輪銀メダリスト

朝原 宣治

からの

金言

プロフィール

1972年生まれ。兵庫県神戸市出身。高校から陸上競技を始める。大阪ガス入社後、アトランタオリンピック100M出場日本人では28年ぶりに準決勝進出。100M日本記録を3度更新。オリンピック4大会連続出場、世界選手権6回出場。2008年北京オリンピック4×100Mリレーでは銀メダルを獲得。同年36歳で現役生活を引退。10年には陸上競技クラブ「NOBY T&F CLUB」を設立。次世代の育成や地域貢献活動にも取り組んでいる。

トークテーマ

スポーツで得られること

その1

小学校は
特にスポーツしていなかったし、
中学は強いチームがあったから
ハンドボール部に入りました。
親の勧めではなく子どもの頃から、
自分で判断してきましたね。

その2

足も早かったし、
ジャンプ力もあったけど
空間認識能力が
なかったんですよ。
中学生くらいで
そこに気づきました。

その3

ハンドボール部では
全国大会に行きましたけど、
陸上部へ。

その4

走りを磨くって何?
ジャンプを磨くって何?
というのが、
最初はよくわからなかった。
そこに気付いてからが
楽しくなった。

その5

同じように
練習していてもタイムが
変わらなかったりしますが、
何かに気付くと
練習が変わって
タイムが出てきて。

その6

高校生までは
走り幅飛びと
短距離をやっていて。
走り幅飛びは高校生3年で
全国一位になりました。

その7

陸上競技は種目を決め切らず、
色んな可能性がある競技なんですよ。

その8

大学2年から
色んな大学で
練習することになり、
新しい練習方法や
トレーニングを知ることで、
強くなっていった。

その9

大学進学時には、
オリンピックに出たいとは
思っていなかった。
大学3年生くらいに
初めて考えるようになりました。

その10

本気でやるなら、
覚悟が必要だと。
すべてを諦めて
集中してやらないと。

その11

オリンピックまでの
4年間で
何をしなきゃいけないのか。
自分の現在位置と
必要なことを補うのか。
細かく繊細に。

その12

一番変化が起きたのは、
同じ練習でも
動作や感覚を
意識しはじめたこと。

その13

今、自分が
どんな状況なのかを
知ることが一番難しいですね。

その14

日本記録を
破ってから思ったのは、
何で他の人が
変えられなかったのか
と感じた。
停滞しすぎたのは、
それまでを
信じ過ぎていたのでは。

その15

固定概念というか、
壁を乗り越えることには
それまでの常識を
取り払うことが必要です。

その16

からだのピークは
過ぎていたけど、
心や技術的には
36才のメダルをとった時が
最適だったのかも。

その17

今も
自分自身の固定概念を
壊し続けないといけない。
新しいことを、
どんどん取り入れる。

その18

これからは
地域のコミュニティづくりや
部活動に関わっていき、
陸上競技に貢献したい。